午前三時の自販機は、なぜあんなにも親しげな顔をして立っているのだろう。
薄暗い路地の片隅、青白い蛍光灯の光をアスファルトに落としながら、ぶうんと低い唸り声を上げている。
まるで、世界中で起きているのが僕一人だけではないと、わざわざ証明してくれているみたいだ。
ポケットの中で指先に触れた冷たい百円玉を二枚、投入口へ滑り込ませる。
かしゃん、と金属が落ちる小気味のいい音。迷うふりをして、結局いつも選ぶ無糖のブラックコーヒーのボタンを押した。
ごとりと重たい音を立てて落ちてきた缶を取り出すと、手のひらにじんわりと熱が移ってくる。まだ秋の初めだというのに、夜風はやけに指先を冷やす。
プルタブを引き抜くと、控えめな蒸気とともに微かな苦い香りが鼻先をかすめた。
一口含む。舌の上に広がる確かな苦味だけが、いま自分が確かにこの現実の輪郭を踏みしめているのだと教えてくれる。
昼間の街は、どうしてあんなにも饒舌なのだろう。
誰もが何かを成し遂げようと早足で歩き、交差点は意味のある言葉やすれ違う視線で満ち溢れている。
その中にいると、自分という輪郭がひどく曖昧になって、まるで誰かの引いた下書きの線のように薄れていく気がする
。周囲の速度に合わせようと呼吸を整えるだけで、一日が終わってしまうのだ。
でも、夜は違う。
こうして一人、街灯の下で湯気を眺めている時間だけは、誰の期待にも応えなくていい。
締め切りも、曖昧に返した相槌の正解も、何者かにならなければいけない焦燥も、すべて夜の底に沈んでいく。
静寂が、まるで吸い取り紙のように僕の余計な思考を吸い取ってくれる。
遠くの幹線道路を、トラックが一台、重たいタイヤの音を残して走り去っていった。
その赤いテールランプが暗闇に溶けて見えなくなるまで、僕はじっと見つめていた。
缶はもう、半分ほど冷たくなっている。
世界はきっと、僕が立ち止まっている間も勝手に回り続ける。
明日になればまた、賑やかで少し窮屈な光が街を覆うだろう。
それでも、この冷え切った缶の重みと喉を通る苦味を知っている限り、僕は僕のままでいられるような気がした。
最後の一口を飲み干し、僕はゆっくりと歩き出す。
自販機の明かりが背中で小さくなっていくのを、振り返らずに感じながら。