小説家.comはじめました ~今日から小説家~

世の中には、二種類の人間がいる。

小説を書く人と、書かない人だ。

昨日の夜までの自分は、完全に「書かない側」の人間だった。

国語の授業で書かされる読書感想文は大嫌いだったし、文学賞に応募したことなんて一度もない。本屋で分厚い小説が平積みされているのを見かけても、「よくこんな何十万文字も思いつくなあ」と、自分とはまったく関係のない世界のことのように思っていた。

そんな自分が、深夜の二時すぎ、青白く光るパソコンの画面の前で固まっていた。

画面に映っていたのは、ネット上の住所みたいなもの——いわゆる「ドメイン」を買うためのサイトだ。

その検索ボックスに、自分はとんでもない文字を打ち込んでいた。

小説家.com

日本語ドメイン。漢字で「小説家」、そしてドットコム。

ブラウザの上のバーに日本語で直接入力すれば、誰が見たって一発でわかる、あまりにも直球で目立つ看板だ。

「まあ、どうせ誰かが使ってるでしょ」

独り言をつぶやきながら、自分は苦笑いしていた。

インターネットの世界には、もう何億というサイトがある。こんな誰でも思いつきそうな、ストレートど真ん中のドメインが空いているわけがない。

「このドメインはすでに使われています」という赤い文字が出てくれば、この深夜の変なテンションもスッと冷めてくれるはずだ。そうしたら歯を磨いてベッドに入り、明日も普通の日常に戻ればいい。

カチッ、とマウスをクリックした。

画面の真ん中で、ぐるぐると読み込み中のマークが回る。

——取得可能です。

ポン、と緑色の文字が表示された。

「……えっ?」

声が出た。

空いていたのだ。誰も取っていなかったのか、それとも偶然誰かが解約したばかりのタイミングだったのか。世界にひとつしかない「小説家.com」という住所が、ぽっかりと目の前に転がっていた。

心臓がバクバク音を立てる中、自分はそのまま衝動的に購入手続きを済ませてしまった。

晴れて「小説家.com」の持ち主になったのだ。

けれど、管理画面を眺めていて、ふと妙な文字列が目に入った。

xn--fctxhy93k.com

「……なにこれ、暗号?」

思わず呟いてしまった。

調べてみると、ピュニコード(Punycode)というらしい。日本語ドメインは見た目こそ漢字でわかりやすいけれど、インターネットの裏側ではこんなアルファベットと記号のめちゃくちゃな文字列に変換されて処理されているのだそうだ。

「小説家」が、システム上では「xn--fctxhy93k」。

URLでいうと、https://xn--fctxhy93k.com

なんだか秘密結社のコードネームみたいで面白いけれど、同時に思った。

「やっぱり、表の看板として堂々と名乗れる、ちゃんとした英語のドメインも必要だな」

システム的にも英語ドメインを本拠地にしておいたほうが安定するし、海外やメールアドレスでも扱いやすい。

そこで自分は、「小説家.com」に釣り合うような、最高に格好いい英語ドメインを探し始めた。

novelist……作家、小説家。

単なる「novelist.com」なんて、世界中の誰かが何十年も前に取っているに決まっている。じゃあ、どんな言葉を組み合わせればいいだろう?

いろいろと考えたり、検索ボックスに打ち込んでは弾かれたりを繰り返すうちに、あるひとつの文字列が頭に浮かんだ。

the-novelist.com

英語で「the novelist」。直訳すると「その小説家」だ。

「ひとりの小説家(a novelist)」じゃなくて、「例の、あの小説家(the novelist)」である。

自分で言うのもなんだけど、いくらなんでも図々しすぎる。これまで小説なんて一文字も書いたことがないくせに、いきなり世界中の誰よりも偉そうな看板を掲げようとしているのだから。

どうせこれも埋まっているだろう、と半信半疑で検索ボタンを押してみる。

すると、画面には信じられない文字が出た。

——取得可能です。

「マジで……!?」

奇跡みたいな巡り合わせだった。「小説家.com」という看板に、これ以上ないほどぴったりな英語のドメインが、まるで待っていたかのように空いていたのだ。

迷う理由なんてどこにもなかった。自分はそのまま「the-novelist.com」もカートに放り込み、購入ボタンをクリックした。

二つの看板を手に入れた瞬間、指先が少しだけ震えた。

これを手に入れたら、もう引き返せない。「今日から自分は小説家です」と、世界中に宣言するための旗を掲げてしまったようなものだからだ。

小説も書いたことがないのに小説家を名乗るなんて、詐欺師みたいじゃないか?

頭の中で、真面目な自分がストップをかけようとする。

だけど、もう一人の自分がニヤニヤしながら囁いた。

「いいじゃん。今まで小説家じゃなかったなら、今日から小説家になればいいだけの話でしょ」


ドメインを買ったからといって、勝手に格好いいWebサイトができるわけじゃない。

アクセスしてみても、最初は「このドメインは設定中です」という真っ白な画面が出るだけだ。

そこからの作業は、小説家というよりは、完全にパソコンの裏方作業だった。

まずは、手に入れた二つの看板を綺麗に繋げる作業だ。

メインの拠点は、あの堂々たる英語ドメイン

https://the-novelist.com

にする。

そして、最初に手に入れた最高の日本語ドメイン「小説家.com(xn--fctxhy93k.com)」もフル活用したい。スマホやパソコンのアドレスバーに、漢字で「小説家.com」と打ち込んだ人が、自動的にメインサイトへワープしてくるように設定するのだ。

DNSとか、リダイレクトとか、転送設定とか。

普段はまったく使わないような専門用語と格闘しながら、ネットの解説記事を片手にポチポチと設定をいじっていく。

一度ブラウザを立ち上げて、アドレスバーに「小説家.com」と入れてEnterを押してみる。

小説家.com

……画面が一瞬切り替わり、見事に 小説家.com(https://the-novelist.com) のトップページが表示された。

「よっしゃ、繋がった!」

思わず部屋で小さくガッツポーズをした。

これで、日本語の看板をくぐった人も、英語の看板をくぐった人も、全員同じ自分のサイトにたどり着くルートが完成した。

次はサイトの見た目作りだ。

WordPressというブログを作る仕組みを入れて、デザインを決めていく。

ごちゃごちゃした派手なバナーや、余計な飾りはいらない。できるだけシンプルに、白い背景に黒い文字が綺麗に並ぶ、本みたいなデザインにしよう。文字の大きさや行の間隔を少しずつ調整していくうちに、画面の中がだんだんと「それっぽい空間」に仕上がっていく。

気がつけば、時計の針は朝の四時を回っていた。

窓の外を見ると、真っ暗だった空がうっすらと青紫色に変わり始めている。


記事を書く画面を開く。

タイトルと本文を入れる真っ白な枠が、カーソルを点滅させながら待っていた。

何を書こうか?

決まっている。昨日の夜から今までの数時間に起きたこと、そのまんまだ。

深夜にふと思い立って「小説家.com」を検索して買っちゃったこと。

裏側のコードが「xn--fctxhy93k.com」になっていて驚いたこと。

それに合う英語ドメインを探して「the-novelist.com」にたどり着いたこと。

二つの看板を繋ぐためにパソコンと格闘したこと。

そして、「今まで小説家じゃなかったけれど、今日から小説家になるんだ」と決めたこと。

カッコつけずに、思ったことをそのままキーボードで打ち込んでいく。

指を動かしているうちに、あっという間に何千文字もの文章ができあがった。生まれて初めて書く、自分の文章だ。

画面の右上には、青いボタンがある。

【 公開 】

たった二文字。

LINEでメッセージを送信するのと同じ、ただの一回のクリックだ。

だけど、マウスの上に置いた人差し指が、カチコチに固まって動かない。

これを押したら、自分の書いた文章がインターネットの海に放り出される。

もう「小説家じゃない自分」には戻れなくなる。

「誰が読むんだよ、こんなの」

頭の中で、冷めた声が聞こえる。

賞を取ったこともない。ファンがいるわけでもない。SNSで有名なわけでもない。そんな名前も知らないやつの書いた文章なんて、誰が読みに来るっていうんだ?

小説家なんて名乗って、バカにされるだけじゃないのか?

机の上に置いてあった、すっかり冷え切ったお茶を一気に飲み干した。

確かに、誰にも読まれないかもしれない。

だけどさ、と自分は思う。

「小説家」って肩書きは、誰かに許可をもらって名乗るものなんだろうか?

試験に合格しないとなれないものなんだろうか?

違うはずだ。

「自分は今日から小説を書く」と決めて、自分の言葉を世界に向かって差し出した瞬間から、誰だって小説家なんだ。上手いか下手かなんて、あとからついてくればいい。

「よし。今日から、小説家だ」

口に出してみたら、さっきまでの怖さが消えて、代わりにちょっと笑えてきた。

なんだかすごく、ワクワクしてきたのだ。

マウスをしっかり握り直して、カーソルを青いボタンに合わせる。

もう迷わなかった。

カチッ。

画面がシュッと切り替わり、上に小さなバーが現れた。

——投稿を公開しました。

新しいタブを開き、アドレスバーに打ち込む。

小説家.com

Enterを押す。

一瞬で画面が切り替わり、小説家.com のトップページに、今自分が書いたばかりの記事がドカンと表示された。

外からは、新聞配達のバイクの音が遠くに聞こえてくる。スズメの鳴き声も聞こえる。

世の中はいつもと何も変わらない朝を迎えているけれど、自分の中では、間違いなく何かがひっくり返っていた。

今日から、私は小説家。

そう、小説家なんだ。

この小説を共有する
  • URLをコピーしました!