「俺だって、いつか、きっと!」
冷え切った夜の路上で、俺は空に向かって歯を食いしばりながら呟いていた。
誰に聞かせるわけでもない。口から吐き出された白い息は、街灯の光に透け、瞬く間に夜風にさらわれて消えていく。
身体の芯には、冷え切った缶コーヒーの苦味だけが残っていた。
凍えるような風が容赦なくコートの襟元を抜けていく。
胸の真ん中が、冷たい風穴でも空いたようにひりついていた。
通り過ぎる車のテールランプ、賑やかに連れ立って駅へ向かう連中の笑い声。そのどれもが俺とは無関係に、それぞれの「完成した現実」を走っている。
何者でもない俺。誇れる肩書も、大歓声を浴びる舞台もない。
世間という巨大な歯車の隙間に挟まり、ただ毎日を生き延びているだけの存在。そんな自分が、夜の片隅で叫ぶ「いつか、きっと」なんて言葉が、どれほど安っぽくて無様かくらい、自分が一番よく分かっていた。
「何回目だよ、そのセリフ」
自嘲の笑みが唇の端からこぼれそうになる。だが、俺はその笑いを無理やり噛み殺した。
諦めたらどれほど楽だろう。
自分は特別な存在じゃないと認め、何かの観客として一生を終える覚悟を決めれば、こんな焦燥感に胸を焼かれることもない。他人の成功に拍手を送り、自分の無難な日常を愛せれば、傷つくことすらないはずだ。
だが、嫌だ。
俺の胸の奥底には、泥水をすすってでも消えない青い火種が燻ぶり続けている。
俺にはまだ、ぶつけるべき場所がある。俺だけの、誰にも侵されない聖域がある。
歩調を早めた。 過去の自分が立ち止まっていた思い出の地も、悔しさが染み付いた路地も、楽しげに笑い合う連中の間も、風のように突っ切っていく。
他人の現実に構っている暇などない。俺が向かうべき場所は、ただひとつだ。
アパートのドアを開け放ち、上着を脱ぎ捨てて机へと直行する。
冷たい部屋の中で、ノートPCの液晶を開いた。青白い光が暗がりを切り裂き、ブラウザのブックマークから迷わず叩く。
――小説家.com。
純白の入力画面が広がり、中央で一本のカーソルがチカ、チカ、と規則正しく点滅していた。
現実世界での俺がどれほど無力で、どれほどちっぽけな存在だろうと、この画面の上だけは違う。
ここでは俺が神であり、世界の創造主だ。
俺が言葉を紡ぎ、魂を削り、一文字を刻み込むたびに、新しい命が、息を呑むような劇的なドラマが、この白紙の上に立ち上がっていく。
「俺だって、いつか、きっと」
もう一度、今度は声に出さずに心の中で呟いた。
それは惨めな敗北者の泣き言ではない。
この白いキャンバスに向き合う、表現者としての宣戦布告だ。
誰かが俺を笑おうが、世界が俺を無視しようが、俺には書くべき物語がある。
この指先からしか生まれない、唯一無二の世界があるのだ。
手首を回し、指をホームポジションに置く。
胸の奥の火種からせり上がる熱情が、神経を通って指先へと流れ込んでいく。
点滅するカーソルが、俺の最初のタイピングを待っている。
「見とけよ」
カタ、とキーを叩いた。静まり返った部屋に響いたその乾いた音は、俺自身の人生という物語を、俺自身の手で切り拓くための最初の号砲だった。