怖い宗教村

その集落には、葬式がなかった。

死者が出ると、村人たちは黒い服ではなく、生成りの清潔な麻布を身にまとい、花を携えてその家に集まる。「お還り、おめでとうございます」と口々に囁き合い、誰も涙を流さない。泣くことは「未練という名の穢れ」とされ、禁じられていたからだ。

民俗学の調査でこの地を訪れていた大学生の蓮は、その光景を遠巻きに眺めながら、底知れぬ違和感を覚えていた。この村を統べるのは、古くから続く土着信仰「慈母の輪(じぼのわ)」だ。教義は極めてシンプルだった。人はすべて一つの大いなる「母」から生まれ、肉体が滅びればその一部へと還る。争いを捨て、自我を手放せば、真の平穏が得られるという。

蓮を迎えた村長の佐伯は、終始穏やかな笑みを絶やさない老人だった。

「蓮さん、都会は疲れるでしょう。誰もが自分を守るために他者を疑い、傷つけ合う。ここでは誰も飢えず、誰も孤独ではありません。すべてを共有し、境界をなくすのです」

佐伯の差し出す白湯を口にしながら、蓮は頷いた。確かに村人たちは親切で、争いもなく、犯罪の影すらない。だが、その瞳の奥に宿る光があまりにも均一だった。感情の揺らぎがなく、誰もが同じテンポで瞬きをし、同じ角度で微笑む。

滞在して四日目の深夜、蓮は奇妙な物音で目を覚ました。湿った、肉を潰すような音と、低く響く読経。

宿所をそっと抜け出し、音が漏れ聞こえる村の中央の礼拝堂へと向かう。厳重に閉ざされた木戸の隙間から中を覗き込んだ瞬間、蓮の呼吸が止まった。

堂内の床には、巨大なすり鉢状の穴が開いていた。その縁に並んでいるのは、昼間に「お還り」を祝われていたはずの老人――遺体だった。そして、その周囲を取り囲む村人たちが、淡々と作業をしていた。

刃物が骨を断つ鈍い音が響く。彼らは遺体を丁寧に解体し、巨大な石臼へと放り込んでいた。粉砕された肉と骨は、地下から湧き出る乳白色の泥水と混ぜ合わされ、ドロドロとしたペースト状へと変貌していく。

祈りを捧げていた佐伯が、信者たちに向かって静かに腕を広げた。

「肉塊を捨て、形を解き、我らは母へと溶け合う。今宵もまた、大いなる調和の糧が整いました」

信者たちが掲げた桶に、その白濁したペーストが注がれていく。そして翌朝、蓮の朝食の膳に置かれたのは、湯気を立てる白い粥だった。ほんのりと甘く、奇妙なとろみがある。

「よく眠れましたか、蓮さん」

背後から佐伯の声がした。振り返ると、佐伯だけでなく、十数人の村人が無言で蓮の部屋の入り口に立っていた。全員が、あの貼り付いたような穏やかな笑みを浮かべている。

「……これ、は何が入っているんですか」

蓮の声が震えた。佐伯は優しく目を細め、一歩足を踏み出した。

「命ですよ。私たちは、亡くなった者を土に埋めて腐らせたりはしません。こうして自らの肉体に取り込み、共に生き続けるのです。昨日の彼も、先祖も、すべてがこの村の者たちの血肉となり、一つの意識となる」

「狂ってる……」

「狂っているのは外の世界です。個を守るために争い、死を恐れ、孤独に震えている。蓮さん、あなたも疲れたでしょう。自分という檻から、解放されたくはありませんか」

逃げようと立ち上がった蓮の足を、村人の手が掴んだ。抵抗しようにも、四方から伸びてくる手は驚くほど力強く、そして温かかった。暴力的な荒々しさは微塵もない。ただ、泣き叫ぶ赤子をあやす母親のように、絶対的な慈愛をもって蓮の自由を奪っていく。

口をこじ開けられ、温かい粥が流し込まれた。

舌の上に広がる、濃厚で、どこか懐かしいような生々しい味。激しく咽せながら吐き出そうとするが、喉の奥へと押し込まれる。

「大丈夫ですよ。すぐに、楽になりますからね」

耳元で囁かれる佐伯の優しい声を聞きながら、蓮の意識は遠のいていった。恐怖が薄れ、代わりに全身を満たしていくのは、奇妙な多幸感だった。自分という輪郭が融解し、目の前の村人たちと、そしてこの土地そのものと混ざり合っていく感覚。

数週間後、村の入り口には、旅の若者を穏やかな笑顔で出迎える蓮の姿があった。その瞳にはもう、以前のような迷いも恐れも、何一つ宿っていなかった。

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